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昼寝から目覚めたのは妙に空腹を感じたからだった。緩やかに目を開ける。目の前に留三郎の背中。こちらの上に薄くかかっている布はどうやら洗ったばかりの留三郎の上着らしくて、緩やかに鼻腔が留三郎の匂いで満たされていく。身体じゅうがにしみわたっていくその匂いは、寝起きの心臓をとくんと動かした。
留三郎はこちらが起きたことに気が付いていないらしい。さらさらと筆を動かしている。よく見れば白いうなじにおくれ毛が何本か這っていて、それが妙になまめかしく感じる。くぅ、と小さくお腹が鳴った。どんなになまめかしさを感じても残念ながら食欲には勝てないようだった。お腹のあたりを触る、いつもより少し薄っぺらいかもしれない。まぁ所詮気のせいだろうけれど。
頬を撫でる日の温度からまだ夕食の時間には遠いだろうことはわかった。どちらにしろ食堂まで行くのはめんどくさい。お腹が空いたのなら食べてしまえばいい。
唐突にそんな風に思って、もう一度留三郎のうなじを見る。柔らかくおいしそうだなんて、心底思った。
留三郎はこちらの気配にさすがに気がついて、「伊作、起きたのか」とこちらを向かずに言っただけだ。視線は相変わらず文机の上の紙にあったし、手も止まることがない。それをいいことに目の前の留三郎に噛み付いた。柔らかな首筋は留三郎の匂いが感じられてさっきよりもずっと鼻腔が留三郎の匂いに満たされる。満たされるけれど、それは心臓だけでお腹は満たされない。
｢伊作｣
ぐいと腕を引っ張られて簡単に首筋からは離されてしまう。それでも留三郎の首筋がお日様にきらりと光るからなんとなく嬉しくなった。名前を呼ばれるままに首筋から留三郎の瞳に視線を映すとさらに濡れた瞳があって、―お腹がすいていた事実なんていつの間にか忘却していた。

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遠くで雷の音がして、強い風が障子をがたがたと揺らす。雨は大降りのようで、地面をえぐる鋭い音は重く絶え間なく続いている。先ほどまでつけていた灯りはふと開いた障子の隙間から訪れた風によって消えてしまった。よって部屋はひどく薄暗くて、それなのにどうしてかこちらをわくわくといった表情を浮かべて見ている小平太の瞳だけはひどくきらきらしている。

「だめだ」

長い付き合いだ、いいたいことはわかっている。
小平太は嵐の中飛び出したいのだ。ざぁざぁと降る雨に身体を打たれたいのだと、思う。だがそんなことをされて（たぶん風邪をひくほどやわではないと思うが）困るのはこちらなのだ。だからその袖を緩やかに引いてひきとめる。
長次のケチ、と露骨に顔をしかめた小平太は次の瞬間突然思い立ったかのようにじゃあいいことをしようなんてろくでもないことを言い始めるものだから大きなため息は零れる暇がなくなってしまった。


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たぶん長次は流されちゃう。

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「雷蔵、私の本当の姿は鵺なのかもしれない」

ぺたりとその膝に頭をつけて、そんなことをうそぶいてみる。こちらの、雷蔵を模したふわふわの髪の毛をゆるゆるととかしていた雷蔵はこちらの言葉にふっと手を止めて、それからゆっくりとこちらを見た。

「なぁに、それ」
「うつお舟に乗って流されてるんだ」

ぱちぱちと瞬きをした雷蔵の口から柔らかに言葉が零れ落ちた。自分には絶対にできない声の出し方だ。その声に、雷蔵の視線からゆっくりと視線を外しながら答える。そうすると「あぁ、昨日見た能の話？」とやっと合点がいったように答えた。

「雷蔵は私を助けてくれるか」
「うーん、どうだろう」

困ったように笑ったその顔が否と言えないことを知っている。


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いつか能の『鵺』でお話を書いてみたいんですが先はながそうである…